相手の怒りは受け取らなければいい
ある時、一人のバラモン(インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン階級の司祭)がお釈迦さまを言いたい放題に非難・侮辱・誹謗中傷しました。彼は、友人のバラモンがお釈迦様に論争を仕掛けて負け、お釈迦様に心服して仏教徒になったことに腹を立てたのです。出家したバラモンは有名人だったので、バラモン側の面目は丸つぶれでした。
バラモンはお釈迦様を、普通は人間に対して使わないほどの厳しい言葉で罵りました。侮辱されている間、お釈迦様はずっと黙って聞いていました。そして、バラモンが疲れて話をやめた時に、「あなたはどう思いますか?」と切り出しました。
「自分の家に来るお客さんのためにご馳走を用意したのに、お客さんが現れなかったら、そのご馳走をどうしますか?」
バラモンは「家族と一緒に食べます」と答えました。そこでお釈迦様はおっしゃいました。
「いま、あなたは私に非難・侮辱・誹謗中傷などの接待をしましたが、残念ながら私はそれを受け取りません。ですからその非難・侮辱・誹謗中傷は、どうぞあなたたちご家族で受けてください」
途端にバラモンは、自分に返ってくる言葉の恐ろしさに、居ても立ってもいられなくなりました。
どんな誹謗中傷を受けても、怒鳴り返す必要はありません。怒りを抱いたら自分が燃えるだけ。逆に自分さえ相手の怒りを受け取らなければ、相手がすべて受け取ることになるのです。怒鳴られても、藁人形に釘を打たれてもニコニコしている人は、それを受け取らないし、心を汚すこともないのです。
アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ初期仏教長老
「致知」2009年6月号より








