たましいのレベル。
差別や偏見は無くした方が良いと思います。
人は生まれながらにして平等だというのも、当然のことだと思います。
ただ、どうしても、生まれながらにして、たましいのレベルには違いがあると思います。
キリスト・ブッダのような人々と、一般的な民衆との間に何か違いがあるのは明らかであり、それは肉体的な違いではなく、たましい的な違いだと考えるのが妥当だと思います。
これは、唯物論のみでは、認識することも把握することもできない領域になります。
ただ、これを認識して把握できるかできないかは、今後、とても大きな意味を持つと思います。
実は、そのたましいのレベルを比較的簡単に見分けられる方法があります。
それは、人生において、どれだけ困難に直面してきたかどうかです。
経済面では、破産や倒産や失業など。
健康面では、大病や難病や障害など。
人間関係では、虐待や死別や離別など。
より困難な状況に直面してきた、もしくは、直面している人ほど、たましいのレベルが高いと見て間違いなさそうです。
それは、すべての人が、その人自身が乗り越えられる困難にしか直面しないから。
より大きな困難に直面した人は、より大きな困難を乗り越えられる人。
すなわち、その困難にふさわしい、たましいのレベルを持った人だといえます。
大病や破産など、困難な目に遭っている人を自業自得だと言う人もいます。
しかし、自分には到底耐えられないような、困難に直面している人は、明らかにたましいのレベルが上の人です。
その人の手助けをして、多くを学ぶという選択肢もあると思います。
また、我が子に安全で安定した人生を強いるのは、もしかしたら親の一方的なエゴかもしれないですね。
一般的に、親よりも、生まれた子供の方が、たましいのレベルが数倍上のようですから。
ありがとうございました。