善人なおもて往生をとぐ。なんぞいわんや悪人をや。
親鸞上人の教えをまとめた『歎異抄(たんにしょう) 』に出てくる有名な言葉です。
簡単に言うと、善人はもちろん成仏できる。それであれば同じように、悪人も成仏できる。という意味になります。
この言葉については、いろいろな解釈がされています。
誤った解釈をして、悪いことをすればするほど成仏できると信じた人達がいたようですが、これは完全な誤解だと思います。
最近、人が罪を犯すのは、ユングが提唱した集合的無意識の影響だと捉える考え方が広まっています。
これは、それぞれの人の中に、少しずつ悪の意識があり、それが集合的無意識として集まり、その意識と一番近い特定の人物のところで顕在化するというものです。
この考え方を使うと、誰かが罪を犯した場合、人類全体に少しずつ責任があるといえます。
ホ・オポノポノもこの考え方がベースとなっていますし、聖書にある「汝人をさばくことなかれ」もこれに通じる考え方だといえます。
この考え方をベースにしたとき、悪人をみてすべきは、自分の心をただすこと、それのみ。
まさに、人の振り見て我が振り直せです。
他人を裁く必要はありません。
また、人類の集合的無意識から、悪の意識を顕在化させてくれた人は、ある意味、人類の成長に寄与した人。
そう考えることも可能なのです。
そして、これを逆に捉えれば、マザーテレサやガンジーのような素晴らしい人格者も、人類全体の中にある善の意識が集合的無意識として集まり、それが顕在化した人達だと考えられるのです。
タイトルの親鸞上人の言葉の意味はこのあたりにあるように思います。
陰と陽の違いこそあれ、人類全体の成長に寄与したという点では、同じように意味があり、同じように「往生をとぐ」ことができると思うのです。
また、こうした考え方は、とても深い「愛」に基づく考え方だと思います。
ただ、実際に、感情的・道徳的にこれをそのまま言動に反映することは簡単ではないですね。
ありがとうございました。