人はもともと努力をする生き物である。
赤ちゃんは、生まれるとまず、話そうとします。
次に、立とうとします。
次に、歩こうとします。
次に、走ろうとします。
その途中でこれらの目標を諦め、努力を放棄することはありません。
おそらく、人間はもともとこのように目標を決めて、勝手に努力をする生き物なのだと思います。
ところが、多くの人が、ある段階から目標を決めて努力することをやめ、出来る範囲で怠けようとします。
これはきっと、あるとき、ひたむきに努力することで幸せになれないことに氣付くからではないかと思うのです。
しかしそれはきっと、努力する方向を間違って教えられているからではないかと思うのです。
多くの場合、努力することをやめてしまう人がでてくるのは、中学生以降だと思います。
このころ、大多数の人は、テストで順位を付けられ、受験勉強をします。
そして、勉強で努力することが幸せになる道だと教えられます。
きっと、このころから努力することをやめる人が増えるのではないかと思います。
それは、勉強で努力してもその先に本当の幸せがないということが、直感的にわかっているからではないでしょうか。
しかし、今の社会では他の進路はほとんど無い。
勉強して、競争して、比較されて、疲れ果てたときに社会に放り出されるのです。
そのころには、努力が無駄になってしまうことを体得してしまっているのかもしれません。
昨今、学級崩壊が騒がれていますが、私は当然の流れだと思います。
また、学級崩壊の要因として、発達障害児の存在が指摘がされてきていますが、この考え方では、おそらく、エジソンもアインシュタインも発達障害児として隔離されてしまったでしょう。
多くの人から努力することの楽しさや素晴らしさを奪ってしまう義務教育って一体なんなのでしょうか。
また、義務教育によって奪われる国民全体のモチベーションって、どのくらいになるのでしょうか。
あ、今日はなんか、話が大きくなってしまいました(笑)
このくらいで終わります。
ありがとうございました。