40にして惑わず。
孔子は言いました。
四十而不惑=40にして惑わず。
私も今年、2/6に40歳の誕生日を迎えました。
40になると、何に惑わなくなるか、楽しみにしていました。
もちろん、孔子と私では惑わなくなる対象が違うとは思いますが、最近、やっと惑わなくなってきたことがあります。
それは、
有名になりたい。
尊敬されたい。
権力(影響力)を持ちたい。
というような願望です。
一般的に言う成功願望だと思います。
これらの願望は、自分の人生の本来の目的ではなく、後天的に植え付けられた願望だと言うことに氣付いたのです。
実は、これらの成功願望は、絶対に全員が成功できない構造になっています。
一部の有名な人を、大多数の無名な人が、
一部の尊敬される人を、大多数の普通の人が、
一部の権力者を、大多数の無力な者が支える仕組みだからです。
大多数の支える人間がどうしても必要であり、絶対に一部の人しか成功できない仕組みなのです。
その結果生まれるのが競争社会です。
そして、他人より上に行くことが至上目的となります。
他人の成功を妬み、引きずり落とそうとする心が生まれます。
これは、明らかにエゴです。
今の一般的な成功願望は、実はエゴでしかないと言えるのです。
ただ、国家にとってみると、多くの人にこれらの願望を持たせることは経済発展に欠かせません。
そのため、社会が豊かになるために、これらの願望を利用することがどうしても必要となる時代もあると思います。
ただ、それは日本では20世紀の話であり、徐々に終焉に向かいつつあると思います。
また、もうひとつ、これらの成功願望はどこまでいっても際限がありません。
どこまで行っても上には上がいるため、死ぬまで願望を追い続ける結果になってしまいます。
要するに、エゴに乗っ取られたまま生涯を過ごしてしまうと言うことです。
これがエゴの一番恐ろしいところだと思います。
今、世にある成功本のほとんどや、テレビなどのマスコミが流す情報の多くが、この成功願望を触発し、増長させる内容になっています。
更に言うと、成功願望を持たない生き方を、「負け組」と称した時期までありました。
まだまだ社会は成功願望で満ちていると思います。
ただ、私はこれから、その路線からは少しずつ舵を切っていこうと思っています。
エゴではない部分で、自らを高めていける生き方を模索していきたいと考えています。
当然私自身、完全にこれらの成功願望を手放せたわけではありません。
おそらく、完全に手放すためにはまだまだ時間がかかるでしょう。
ただ、少しずつ手放していくことで、人生が軽くシンプルになり、より本質を見極められるようになってきていると感じています。
このことに氣付くまで40年・・・。
光陰矢のごとし。
人生は本当に早いですね。
でも、実におもしろいです(笑)
ありがとうございました。